∽ 小説 浮き舟【天の章 File_02】
Scene_16 カミングアウト
「今日は生徒諸君にうれしいお知らせがあります」
終業式が始まると教頭が満面の笑みでそう切り出した。
「先日行方が分らなくなっていた中等部の女子生徒、末永サチさんが昨日都内某所で発見されました。現在、検査入院中ですが、健康に特に問題はないそうです。皆さんも明日から夏休みに入りますが、事件などに巻き込まれぬよう、気を引き締めて休みを送って頂きたい。そのように思います」
教頭は昨夜から考えてきた文章を滞りなく伝えると、生徒達の反応を待った。期待通りとはいかないまでも「おお」とか「よかった」など、喜びの反応に満足すると、生活指導の教師にマイクを譲った。
《サチ…見つかったんだ。良かった…》
クラスメイトの並ぶ、列の最後尾で菊千代はポツリとつぶやいた。神隠しにあった生徒は皆、その数日後に某所で発見されていた。どのケースも外傷はないが精神的なダメージが大きく事件の記憶が失われている、という共通点があった。たぶん末永サチもそうなのだろう。
《もしも、霊的な存在が関与しているのだとすれば憑依による可能性が高い…》
菊千代はそうつぶやくと、壁際に並んだ教師たちの中からひとりを一瞥した。担任の海老原と一瞬目が合う。その教師はさきほどからずっと、菊千代を観察していたのだ。
《彼には弧霊が憑いている…それはわかっている》
シャローナをレイプし、自殺にまで追込んだ人物。菊千代の中では限りなく黒い人物の一人だった。ただ、神隠しに遭った生徒全員が彼の仕業だと決めつける証拠はない。ひとつ言える事は、片岡のモデルになった生徒の中から犠牲者を選び、神隠しを行っているという事実だ。
《だとするならば、僕がカミングアウトをした事も僕と先生が結ばれた事もその犯人はすでに知っているに違いない。そして次に狙われるのはこの僕…》
菊千代はそう思った。
「ね、ねえ、君ってあのポスターの子だよね。いじめ撲滅キャンペーンの…」
思案にふけっていると、斜め前の生徒が不意に振り返り菊千代に声をかけた。かなり勇気を振り絞って聞いたのだろう。裏返ったその声に、数人の生徒が反応するように振り向いた。
「だよなぁ、あのモデル確かマールって子じゃなかったっけ?」
「あ、やっぱりそう思った?私も同じこと考えていた!ねえ、あなた転校生?」
驚いたようにまばたきをする菊千代に、別の女子が矢継ぎ早に質問を投げかけた。
「あ、いや、僕は同級生の…」
そう言いかけて、菊千代は後の言葉を飲み込んだ。
《もしかして彼らは僕が誰なのか気づいていない?》
菊千代は改めて彼らの発する霊磁気に触れ、その事実に驚いた。どおりで教室に入った時の反応が期待とは違ったはずだ。菊千代はシャローナの制服を着て学園に登校していた。白のブラウスにチェックのプリーツスカートを履き、赤い胸リボンを付けて…。今日からは女子として生まれ変わるつもりで来たのだ。
当然「きゃぁ、神楽君女装なんかしてどうしたの?」とか「おい、菊千代。お前とうとうカミングアウトしたのか」とかそんなリアクションを期待というか、覚悟していたのだが実際の反応は違っていた。彼らは遠回しに自分を観察するだけで誰も話しかけてはこなかったのだ。菊千代はやや拍子抜けをした。
原因はやはり(菊千代の姉である)千織のメイク技術にあるのかも知れない。菊千代はそう思った。覚悟は決めたとはいえ、やはりクラスの前で女装姿は恥ずかしい。だから姉に頼んで《マール》のメイクを再現してもらったのだ。過去の自分を消す意味もあったが、ワンクッション置きたかったのである。だがプロの技術とは恐ろしいもので、化粧した後の自分はそれ以前とはまったくの別人になってしまった…らしい。
《彼らは『いじめ撲滅キャンペーン』のモデルとして僕を認識しているんだな…》
菊千代はやりすぎてしまった事を反省したが、同時にこのまま転校生になりきるのも悪くないかも、と思った。まあ、いずればれる事ではあるけれど…。
しかし、菊千代の楽観をよそに事態は思わぬ方向へと展開していった。「この学校に有名人が来ているらしい!」という噂がさざめきのように広がると、あちらこちらで携帯やスマートフォンを使って《つぶやき》が始まったのだ。友人同士の書き込みが飛び交い、電子音が講堂に響き渡る。
(有名人て誰?)
(女性?)
(モデルってまさか、あの子!)
(マール?誰それ…)
(いじめ撲滅キャンペーンの?)
(うは、美形じゃね)
(つか、昨日抜きましたが何か?)
モバイルでの会話は一種独特な雰囲気を講堂内に作り始めた。終業式の最中、いつしかクラスの列は乱れ、菊千代を中心に人垣ができ始めたのだ。壇上の教頭、生活指導の教師が声を荒げ、生徒達を制しようと躍起になっている。
「どうします?会長、収集つかないって感じですけど…」
生徒会の進行役が困惑した様子で隣の少女に声をかけた。少女はブランド物の赤いメガネを指で押し上げ溜め息をついた。闇小路静香である。
「収集をつける義理は無くってよ。生徒会は彼らの子守りじゃないのだから…」
闇小路静香はそう言うと、壇上から生徒の群れを眺めた。静香のスマートフォンにも先ほどから多くのメッセージが届いていた。輪の中心にいる少女、その渦中の人物は確かにあのポスターと同一人物のように思えた。
「転校生?でもそんな情報入って来なかったけれど…」
静香は眉間にしわを寄せ後ろを振り返った。舞台袖、影のように潜む男に目配せを送る。
「津村、あの子を探りなさい」
少女の言葉に修道服の男が小さく頷いた。静香の視線が再び壇上に戻ると、その視界に黒服を着た別の男が入って来た。彫りの深い顔立ちに、口ひげが似合う男である。
「今日は羊たちが興奮しているようだ…」
男は独り言のようにそうつぶやくと、少女の肩に手を置いた。静香が口元に笑みを浮かべ、その手を自らの手を重ねる。
「終業式が台無しね。お父様…」
少女は学園長を見上げながらそう言うと、父に体をすり寄せた。
「羊も群れをなすと厄介なものだ。あとは教頭に頼んでおいた。私はこれで失礼するよ」
「はい、お父様。あとは生徒会で誘導しておきます」
学園長が壇上から姿を消すのを見て、地場登は「終業式もそろそろお開きだな」と感じていた。娘の闇小路静香が教頭に何か指示を出している。
「何をしているんだよ、生徒会は…」
地場はやる気の無い生徒会の進行にいらいらしていた。自分だけのアイドルが皆の前に晒されていることが我慢ならなかった。携帯のシャッター音が聞こえるたびに、《マール》の希少性が失われて行く。そんな気さえしていた。
「しかし、神楽君…女装をして登校するなんてどういうつもりなんだ。しかもマールちゃんのメイクまでして…」
地場はそれが不思議でならなかった。菊千代を両性具有だと知っている者は自分を含めて数人いる。モデルとしてのマールを知っている者は多いだろう。しかし、その両者が同一人物だという事実は自分を置いてはいないはずなのだ。
「その秘密は僕だけの物なのに…」
地場はそのアドバンテージに優越感を感じてきたのだ。このまま菊千代がカミングアウトしてしまい、それが公然の事実となってしまったら…。マールはたちまち学園のアイドルになってしまうだろう。地場はそれが許せなかった。
「おい、地場!」
不意に声を掛けられ、少年は驚いて振り向いた。
「なに怖い顔してんだよ。ほらお前の好きなモデルちゃんが来てるじゃねーか、早くいって抱きついて来いよ(笑)」
同級生の林流源が意地悪く地場の顔を覗き込んだ。他のクラスの取り巻きも一緒に来ている。地場は最悪の展開に目の前が暗くなった。
「ほら、オレたちが付き添ってやるからさ」
「や、やめてくれよ。そんなこと出来るわけないじゃないか…」
背中を押され、男達に両腕をつかまれた地場登は、泣きそうな声を出して懇願した。引きずられるように生徒の人垣をかき分けると、困惑した顔のマールがその中から現れた。
「逃げて!」と叫ぶつもりが、地場は間近に見る美少女の姿に声を失ってしまった。林たちは放り出すように地場の体を前に突き出した。少年の体が泳ぐように前につんのめる。菊千代は倒れそうになる地場の体を、手を広げて受け止めた。少女の胸に少年の顔が埋められる形になると、一瞬沈黙の後に「おお!」という生徒の歓声と拍手が講堂中に沸き起こった。
「こらお前ら、教室に戻りなさい!」
担任の海老原が声を荒げ、人垣の中から現れる。他の教師も各自の生徒を同様に誘導し始め、生徒会のマイクが終了の合図を全校生徒に知らせていた。
「おい君!どこの生徒だ。うちのクラスの列になぜ並んでいる?」
海老原は菊千代の肩をつかむと地場の体から引き離し、そう言った。掴まれた肩に強い霊磁気を感じ、菊千代は担任の顔を見上げた。海老原の眼球が左右に動き、右顔面に痙攣が見られる。
《憑依だ…》
菊千代は咄嗟にそれを感じた。強い獣臭が鼻につく。
「お前に話がある神楽。黙って俺に付いて来い…」
教師は少女の耳元で低くつぶやくと「ほら通路を開けろ!」と大声を張り上げた。菊千代は黙って頷いた。
《気づいていたんだ、海老原…》
自らの耳にも届いた教師の声に、地場はただならぬ殺気を感じていた。そして肩を抱かれて連れて行かれるマールの後ろ姿…。少年は今、なにか重大な決意をしなければならないと悟った。
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片岡は自分の携帯の呼び出し音を何年ぶりかで聞いた気がした。放りっぱなしの携帯はとうの昔に電池切れをしていたが、菊千代が引っ張りだして充電をしてくれたのだ。自分の番号さえも忘れていたが、それも彼女が探し出し、自分の携帯に送信していた。この電話もたぶん菊千代が掛けて来たものだろう。画家はそう思った。
「もしもし、片岡です。菊千代か…どうした?」
片岡は昨夜の出来事を思い出し、多少照れを感じながら相手の返事を待った。が、少し経っても菊千代の返事は無かった。かといって通話が切れているわけでもなく、携帯のスピーカーからは向こうの様子が伝わってくる。《もしもし、どうしたんだ?》と、再度確認しようとしたその時菊千代の声が聞こえ、片岡はその言葉に耳を傾けた。
『海老原先生、こんな騒ぎになってしまって申し訳ありませんでした』
片岡はその声が自分に向けられた物でないことにすぐに気づいた。
『どういうつもりなんだ神楽、そんな格好で登校して…お前カミングアウトでもするつもりなのか?』
男の話し声が離れた場所から聞こえて来る。
『はい、僕は女子としてやり直すつもりです』
片岡の耳には二人のやり取りが届いていた。相手の男性は教師らしく、その声には聞き覚えがあった。海老原信二…かつての同僚だ。
《カミングアウト?…女子としてやり直す?…つまりマールは男子生徒としてサリティアに通っていたのか…?》
その事実に片岡は、軽い衝撃のようなものを受けた。出会ったときから女性として接していた画家は、マールを男子とは感じていなかった。画家の感性を持ってしても彼女は女性としか映らなかった。もちろん両性具有の事実を知った時は多少の驚きはあった。しかし、それ以外のどこをとっても男性的なものは感じなかったし、その彼女が男子として通学している事の方が驚くべきことだった。
なぜ菊千代はこのタイミングで電話を掛けて来たのだろう?片岡はその真意が掴めずにいた。が、今はこのやり取りを聞くことにしよう。そこに答えがあるはずだから…片岡はそう思った。
サリティアの旧校舎。その扉をくぐると、真夏であるにも関わらず、菊千代は冷やりとした物をそこに感じた。ミニスカートでいることに原因を求めてみたが、それだけが理由ではないはずだ。根本的な理由は違う次元にある。
「海老原先生、こんな騒ぎになってしまって申し訳ありませんでした」
菊千代はあらかじめセットしてあったリダイアルを押すと、担任に向ってそう切り出した。海老原に見つからぬよう携帯は胸元、スポーツブラの中に押し込んだ。自分と相手の会話が片岡に聞こえるように…。
「どういうつもりなんだ神楽、そんな格好で登校して…お前カミングアウトでもするつもりなのか?」
海老原はニヤついた笑いを顔に張りつけ、少女に向ってそう言った。ミニスカートから覗くしなやかな脚に、這うような視線が投げつけられる。
「はい、僕は女子としてやり直すつもりです」
菊千代はきっぱりとそう言うと、教師を正視した。先ほどまであった弧霊の気配がその成りを潜めている。今は海老原本人の意識であるらしい。
「先生こそ、ひと気のない旧校舎へ僕を連れ出して、どうなさるつもりなんですか?」
少女は表面的に笑みを作ると後ろに手を組んだ。それからゆっくりと後ずさりをし、教師との間合いを取る。不意な動きに対して交わす事のできる距離を…。
「どうするつもりって言われてもなぁ、深い意味なんてないさ」
「うふふ…ここなら叫んでも人が来ないし、閉じ込めて監禁できる部屋はたくさんありますからね。神隠しにしてしまうにはもってこいの…」
教師の言葉に対し、菊千代は《神隠し》という言葉を織り交ぜ、ストレートに核心を突いてみた。教師は驚いたように目を見張り、そして生徒を睨んだ。
「何が言いたい神楽? はっきりと言ってみろ…」
「神隠しにあった生徒は皆、この学校の元教師である画家の片岡氏のモデルをしていました。つまり犯人は片岡氏のアトリエを常に観察している者だと推測できます。更に言えば、罪をなすり付けようとするその行動から、彼に対しての怨恨が伺えます…よね」
菊千代は間合いを詰めようとする教師から霊磁気を読み取り、うまく交わすように後ずさりをしていた。彼を興奮させないように、そしてさりげなく真実に近づくように…菊千代は話を続けた。
「海老原先生は警察が事情聴取に来た際に、僕と片岡氏と末永サチが一緒にいた所を見たとおっしゃいましたね。随分詳しいじゃありませんか、片岡氏とモデル達の関係について…」
「あ、あれは偶然見かけたんだ。河川敷を散歩していてな…」
海老原は沸き起こる衝動(このまま飛びかかってねじ伏せたい)を押さえて言った。慌てるな…獣になるにはまだ早い。教師として、大人として、言葉の上でもイニシアチブを取ってからだ(こんな小娘に何をビビっている!)
「神楽、そんなことで俺を犯人だと決めつけようと言うのか!」
威嚇しようと張り上げた声が、思いのほか大きく礼拝堂に響き渡った。誰が点けたのか、燭台の炎が風になびき、二つの影が大きく揺れる。
「偶然…ですか(笑)ではシャローナと片岡氏の関係も偶然お知りになったんですね?」
菊千代は《シャローナ》に反応する教師の様子をうかがった。ポーカーフェイスを装いながらも海老原の発する霊気玉が大きく変化した。肥大した彼の欲望が今にも破裂寸前だった。このままでは襲われる、そう思った。
「シャローナと片岡の関係?…さぁね、なんのことだ?」
のらりくらりとシラを切りながら、教師は生徒との間合いを詰め始めた。
「彼女もまた片岡氏のモデルをしていました。そして恋仲でもありました。残された裸体の絵を覚えていますよね」
菊千代は教師との間合いを取りながら続けた。後ずさりする背後には徐々に祭壇が近づいてくる。このままでは行き止まりだ。
「アトリエでそれが発見されて片岡氏は警察に呼ばれましたが、海老原先生はそれ以前にその事実を知っていましたよね。『俺は知っているんだ。あいつのアトリエで裸になったお前を…と』あなたは彼女にそう言ったはずです」
あくまでシラを切り通そうとする海老原に、菊千代は思い切って切り札を出してみた。シャローナが追想の中で見せてくれたあの光景を…。
「な・ん・だ・と…」教師の表情がみるみると強張ってゆく。
「お忘れになったんですか?ちょうどこの場所で彼女を弄び、レイプしたじゃありませんか。その時に言った言葉ですよ!」
菊千代はそう叫ぶと背にした祭壇の上に、転がるようにその身を投げた。教師の伸ばした手が寸前のところで空を切る。その眼球が左右に動き、右顔面が痙攣し始める。菊千代は教師と重なったもう一つの背後存在に目を見張った。
「くくく…」教師の肩が震えるように笑い始める。それは徐々に激しい動きとなり、そして狂ったような爆笑に変わった。教師の体を依り代にした存在が再びその肉体に浮かび上がる。菊千代は三つの尾をもつ弧霊を見つめた。
「ああ、そうだよ。その通りだ。オレがシャローナをレイプした。なぜキサマがそれを知っているのかは知らないがな。まあ、そんなことはもうどうでもいい。もう茶番はやめだ。教師ヅラをしていると肩が凝っていけねぇ」
海老原はすばやい動きで祭壇に飛び乗った。菊千代が仰向けの状態から体を翻す。少女の体が転げ落ちるよりも早く教師がその肩を掴む。そして体重をかけその体を覆いかぶせた。強い腕力で両の手が祭壇の上に貼付けられる。
「やはり、あなたが彼女達を誘拐した犯人なんですね!」
菊千代は教師に向ってそう叫んだ。
「誘拐したのもオレ、レイプをしたのもオレだ。奴のアトリエに盗聴器が仕掛けてあってな、あそこでの会話は筒抜けなんだよ。お前の喘ぎ声にはちょっと興奮させられたぜ(笑)」
「なんて卑劣な…」
教師の言葉に菊千代は唇を噛み締めた。片岡との思い出をこんな畜生に聞かれていたかと思うと、恥ずかしいのを通り越して悲しくなった。
「お前もシャローナと同じように気持ちよくさせてやるぜ。片岡よりもオレの方が絶対うまいってな(笑)」
海老原は笑いを口から吐きだすと、片腕で生徒の両手首を束ね、もう片方の手でスカートを捲り上げた。その指が白のボクサーショーツにかかる。菊千代は身をよじり、脚を固く閉じた。が、活きのいい魚をさばくように、教師は少女の脚に沿って、その手を縦に滑らせた。剥ぎ取られたショーツが、教師の手の中で高々と持ち上げられる。
「両性具有の“浮き舟”…すばらしいな。お前と交わってその体をオレの住処にしてやる。あいつらの儀式が済んだらこれもらうんだ…オレだけの“浮き舟”にするんだ」
海老原は憑かれた笑いを張りつけ、そうつぶやいた。
「あいつら?儀式?…どういう意味ですか?他にも仲間が…?」
菊千代は驚いたように尋ねた。教師は口元を吊り上げ、その大きな口をゆっくりと開いた。
「俺は手伝ってやっただけさ、その褒美に女たちで遊ばせてもらった。それだけさ、魂はいつもあいつらが奪っていくんだ。忌々しいが仕方がない…」
「手伝い?一体誰の?」
菊千代の問いに海老原はうるさそうに顔をしかめた。スカートのウエスト部分に指を滑り込ませ、力任せに留め金を引きちぎる。えんじ色のスカートが少女の体から剥がされると、菊千代はその身をよじらせた。
「それを聞いてどうする?お前はここで起きたことなんぞ覚えていられない。神隠しに遭った連中はキレイさっぱり記憶を消されて、放置されちまうんだから(笑)」
そこまで話すと教師は急に小声になった。菊千代の耳元に顔を近づける。
「それどころかなぁ(ここだけの話なんだが)魂さえも失ってただの木偶人形になっちまうんだ。神隠しに遭った奴らはただの抜け殻ってわけだ(笑)」
「魂を失うって、どうやってそんな事が…」
菊千代の表情が恐怖に変わるのを見て、男はさらに興奮した。少女の手にくわえていた力が緩みその手を離す。
「これ以上は言えないな、オレも自分の身は可愛いんでなぁ…」
海老原は立ち上がると自らのベルトを緩め、ジッパーをゆっくりと下ろした。菊千代の頭上でズボンとブリーフを同時に下ろされ、隆起した物が目の前にヌウと現れる。
菊千代は再び伸びる男の手を一瞬早く交わし、祭壇の上を転がった。そのまま床に放り出され尻餅をつく。落下したショックで体が二回ほど転がり、白いブラウスが大きく翻った。
「活きいいなぁ(笑)鬼ごっこのしがいがあるってもんだ。気合いを入れて逃げろよ、神楽。捕まるごとに服を剥がしていくからな」
教師の言葉が背後から届く。よろけながら逃げる少女のローファーシューズが脱げ、教師はそれを拾い上げた。痛ぶり倒して、命乞いさせて、絶望の縁に立たせて突き落とす。教師はその靴の匂いを嗅ぎながら、レイプシーンを頭に描いた。
菊千代は何列もの椅子と柱の間を駆け抜け、入り口の扉へと走った。ロウソクに照らされた影が長く伸び、片足だけになった靴音が礼拝堂に響く。教師の靴音が追いつこうとそれに重なる。
=ギイィィ…
手を伸ばそうとした少女の目の前で、礼拝堂の重い扉が左右に開いた。暗闇に一筋の光が差し込む。菊千代は目がくらみ、光に浮かんだそのシルエットを凝視した。室内に充満した悪霊の気が外気と入れ替わるように流れ出す。
「助けて!」
菊千代はシルエットの人物に向って叫んだ。教師は追うのをやめその影を見つめた。影は複数ある。学園関係者か?いや、こんなところに来るはずが無い。しかし、もしそうだったらこの状況をどう説明する?教師は戸惑った。
少女の影が複数の影に重なると、生徒らしき笑い声が礼拝堂にこだました。少女はもがくように体を揺すった。
「誰だ!」
海老原が叫んだ。少年達に両の腕を捕られ、少女が再び教師の前にその姿を現した。捕らえていたのは林流源とその仲間たちだった。その後ろに地場登の姿が見える。
「おやおや、先生。こんな美少女と二人きりで礼拝でもしてるんすか?」
林がからかうように言った。取り巻きの生徒が噴くように笑い出す。教師は動じる様子もなく、ワイシャツの裾を捲り上げた。そそり立った男の一物が露になる。
「鬼ごっこだよ。見れば分るだろ(笑)捕まえた鬼がそいつを十秒間レイプすることができる。十秒で逝かなければ娘は鬼から逃げる事ができる。それがルールだ」
教師の言葉に生徒の顔から笑いが消えた。狂っている…誰もがそう感じているようだった。菊千代は体を揺り動かし、腕を捕らえている男子に向って叫んだ。
「海老原先生は狂っている。頼むからこの手を離してくれ」
菊千代の叫び声に林流源が少女の顔を覗き込んだ。
「お前…もしかして神楽か?」
その質問に菊千代はコクリと頷いた。回りの生徒が驚いたように顔を見合わせる。地場登は地面を睨んだまま動かなかった。
「どうしたガキ共、女に生まれ変わった神楽と遊びたくないか?鬼になりたい奴は下半身を出せ。やらないなら指をくわえて見ていろ(笑)」
海老原の目に妖しい光が灯る。弧霊の分霊が教師の視線を媒介に飛び出して来る。菊千代はその光から目をそらした。見続けると意志を奪われるからだ。
「面白そうだな、神楽が泣いて喜ぶ姿ってのもちょっとそそるぜ…」
林流源が虚ろな目をして言った。取り巻きの生徒も同様に頷き、次々に下半身を丸出しにしていく。その目から光の失せてゆく様子が、菊千代にはよくわかった。分霊の憑依は短時間だが即効性があるのだ。地場だけは何も言わず、固まったように地面を睨み続けていた。
「最初にオレがやる。十秒たったらこいつを逃がすから後は好きにしろ。いいな」
海老原の合図に生徒たちが頷いた。床の上に横たえられ、両手足の自由を奪われる。礼拝堂の冷やりとした床の感触が背中に伝わって来る。抵抗し身をよじったが、四人に押さえつけられた体はビクともしなかった。
菊千代はクラスメイトを前に、担任からのレイプを覚悟しなければならなかった。片岡との幸せな一夜が獣達に上書きされてしまう。そう思うと悔しかった。目から涙が溢れて来る。だがこんな状況の中さえ、菊千代は自らの心だけは守り通そうと思っていた。
《彼らが手を出せるのはこの肉体だけ…自分がそれを許可しなければ、心にまで手を出す事はできない。自分の心は自分で決められるんだ》
菊千代は自分にそう言い聞かせた。彼らの行為を恨み、呪い続けて生きる事は可能だ。しかしそれは、ここでの記憶を繰り返し再生し続ける自虐行為でしかない。菊千代はそう決意した。弱者にできる最善の選択…心の中で太陽神の名前を唱え、少女は感謝の祝詞を《内なる神》に捧げ続けた。
教師が両脚の間から顔を覗かせ、ネットリとした舌の感触が内股に伝わって来る。獣臭が鼻にツンとする。それと共に邪悪な霊磁気が肉の挿入よりも先に、菊千代の霊体に流れ込んで来るのがわかった。見上げると、天井高くに描かれたフレスコの怪物達が、生け贄を待つように見下ろしている。
「神様…」
菊千代の口から思わず言葉が漏れた。
「マールちゃんに…」
菊千代の頭上で震える声が微かに聞こえた。取り巻きの一人がそちらの方を見る。
「マールちゃんに…」少し力を込めた声が再び聞こえる。
「マールちゃんに手を出すな!」
うわずりながらも強い叫びが、礼拝堂の中に響き渡った。男達が一斉に顔を上げる。拳を握りしめた少年を、林流源は面倒臭そうに睨んだ。
「地場、やりたいならお前もズボンを脱げ。最後に回してやるからよ」
林は吐くように言った。が、その言葉を待たずに地場が動いた。振り上げた拳が一人目の顔面を捕らえ、もんどり打つように叫び声が上がる。菊千代の手足を押さえ、無防備になっているところに、一人また一人と地場は奇声を上げて飛びかかった。
「この野郎!」
不意を突かれ、蹴りを入れられた林が怒鳴るように叫んだ。ポケットに手を入れバタフライナイフを握りしめる。刃先を出そうと手こずっている所に、地場の体当たりが林を直撃した。ナイフは林の手を離れ、石の床の上を転がった。
「うわあぁぁぁああ…」
地場は林の上に馬乗りになると狂ったように拳を上げた。
生徒の反乱を尻目に、海老原は菊千代のブラウスを引きちぎった。ちぎれたボタンが音をたてて跳ねる。白いスポーツブラが露になり、教師はその胸に顔を埋めた。が、そのとき固い何かが鼻にぶつかった。
「お前の悪行はすべて聞かせてもらった…」
胸元から聞こえる男の声に、教師はギョッとして顔を上げた。スポーツブラに挟まれた携帯電話に気づき、海老原の顔から血の気が引いてゆく。
「海老原、キサマだけは許せん!」
その声は携帯から聞こえるのと同時に、リアルな音声を持って礼拝堂の中にも響き渡った。海老原の泳ぐような視線が教会の扉に注がれる。熊のように大きなシルエットがその扉を塞いでいた。
「わあぁぁ、グリズリーだ!」
「先生!」
取り巻き達が恐怖の声を上げ、菊千代は嬉しさのあまりに叫んだ。地獄に神様とはまさにこのことだと思った。生徒達が散るように逃げ出し始める。
「お前はオレの物だ。オレの浮き舟なんだ!」
海老原はなおもそう叫ぶと、己の一物を少女の股間に突き立てた。交わってしまえばそこから菊千代へと憑依できる。乗り換えてしまえばこの男の浮き舟などに用はないのだ。古狐はそう思った。が、突き立てたはずの一物に、少女の肉の感触は伝わって来なかった。
「なに??」
古狐は自らの一物に手をやった。それはクニャリと折れ曲がり、すっかりと萎えていた。片岡への恐怖心が、一時的な不能を引き起こしたのだろうか…。
「ちくしょう!」
古狐が毒づくように叫んだ。熊のようなシルエットがこちらに向って突進してくる。男は少女の両脚を持ち上げ、それから大きく息を吸い込んだ。
「あ…」
菊千代は思わず声を漏らした。下腹部に注がれる熱い息。海老原はその唇を少女の花弁へと押し当て、肺の中の息を一気に注ぎ込んでいた。その息と共に弧霊の魂が菊千代の体内へと流れ込んで来る。霊眼で見るとそれはどす黒い固まりのようであった。
「離れろ、この外道ぉぉおお!」
片岡の前蹴りが海老原の額にヒットすると、男の上体が大きく反り上がった。そこへ斜め上からラリアットを叩き落とす。海老原のあごに丸太のような腕が深々とめり込んだ。スロー再生するように男の体が宙を泳ぎ、その頭部が床に叩き付けられる。ゴツッという鈍い音があたりに響く。痙攣ののち、しばらくして男は気を失ってしまった。片岡は菊千代を振り返ると自らの上着をその肩にかけ、全身を抱きかかえた。
「先生!」
その腕を彼の首に回し、菊千代は画家の唇にキスをした。熱いものが胸に沸き起こり、涙が止めどなく流れて来る。
「時間を食ってすまなかったな」
画家は少女を見ながら言った。菊千代が小さく首を振る。が、次の瞬間ニコリと微笑んだ片岡の表情が、硬いものに変わって行くのを少女は見た。菊千代の肩越しに残っていた生徒がフラリと立ち上がる。画家の視線が少年を追いかけた。林流源だ。その傍らに叩きのめされた地場登が倒れている。林は転がっていたバタフライナイフを拾うと、菊千代めがけて走りだした。咄嗟に背を向け、片岡は少年と菊千代との間に壁をつくった。チクリとした感触が背中に突き刺さる。一回…二回…三回。
片岡は少女の体をゆっくりと下ろすと、背後の少年に向き直った。林のバタフライナイフが今度は腹に突き刺さる。画家はその手を掴むと思い切りねじり上げた。
=ぎゃあぁぁぁああ!
骨の折れる鈍い音と共に林が絶叫する。おびただしく流れる背中の血を見て、菊千代は言葉を失った。手で押さえてもそれは止まらず、足元に血だまりが大きくなっていく。画家はゆっくりと菊千代に振り向き、静かに言った。
「ちょっとばかし派手にやっちまったな。すまんが医者を呼んでくれないか、菊千代」
その言葉の後、支えきれないほどの重みが菊千代の肩に加わった。